日々と文学

読書ブログ、映画ブログ

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『失われた時を求めて』第9巻で、その日別れを告げようとしていた恋人アルベルチーヌに突如あるきっかけで「私」の病的な嫉妬が再燃する。リゾート地バルベックにて、ラ・ラスプリエールの景勝地に邸を構えるさる貴婦人の晩餐会の帰りの、鉄道の中だった。そ…

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先週のブログを書いていて、現在の私が前にしている世界と、別の世界のあり方を体験として提示する芸術は、だから私の芯を思い出させる、と最後に書いた。芯というのは、根、何の決定も受けていない、いわばゼロ、無の状態。何度も引用してきた『失われた時…

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チェーザレ・パヴェーゼの『美しい夏』の冒頭を別の本での引用で読んで、あまりにも目が覚めるような小説の、世界への楽しみに満ちたビビットさを感じ、近場の書店に行ったら岩波文庫で3冊、パヴェーゼの作があったが『美しい夏』はなかった。『月と篝火』と…

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蓮沼執太フィルの『FULLPHONY』を聴いている。眠る時に。よく分からない音楽で、「フィル」ってそもそもなんなのか。「オーケストラの名前によく付く」らしい。蓮沼執太オーケストラみたいなことか。たしかに演奏動画はそんな感じではある。みんな私服でラフ…

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灰野さんのライブにまた行きたい、と思って調べると、五月に渋谷WWWで蓮沼執太と共演がある。蓮沼執太の演奏動画を見てみる。横尾忠則のTwitterを開いたら、一番はじめに蓮沼執太が横尾さんの絵がプリントされたマスクをつけた写真、『without corona』とい…

115. 『失われた時を求めて』第9巻

「私がスモーキングを着こむとき、ふとした仕草が呪術のような魔力を発揮して、はつらつとした浮薄な自我、つまりサン=ルーとリヴベルに夕食に出かけたときや、ステルマリア嬢をブーローニュの森の島へ夕食に連れてゆけると想いこんでいた夜の私の自我を呼…

114. プルースト『失われた時を求めて』ソドムとゴモラⅡ

「それは、若い娘という寓意的で宿命的な形をとって私の面前にあらわれた、ある精神状態、ある生存の未来なのだ。」 出勤の電車に乗って座席に座りながら『失われた時を求めて』を読んでいたらこうした一節が出てきて、私は思わずその文庫本を閉じる。主人公…

113.『ユリイカ』12

『ユリイカ』という題のまま書いてきた。4時間の映画において、沢井真をはじめ、田村ナオキ・コズエ兄妹、アキヒコといった4人の、大きな困難の果てに訪れる、ラストの風景。モノクロがはじめてカラーになって描きだされる大観峰の空撮。コズエが言葉、声を…

112.『ユリイカ』11 サクラ、海、ベーコン

サクラはまだ咲いていない。これを書いているのは3月14日、よく晴れた日曜日だ。渋谷の街には半袖Tシャツ一枚の人もよく見かけた。昨日の豪雨、雷雨がすべてを洗い流していった。大気がごっそり入れ替わり、まだ風が強いなか、深い青空が覗いている。 『ツァ…

111.『ユリイカ』10〈星〉

休みの日、珍しい二連休だったが天気は悪かった。『気狂いピエロ』を流して本を読んでいた。食べ物も碌なもん食ってないし、部屋も散らかっていた。起きて、片付けて久しぶりに洗濯して掃除機をかけ、ワイシャツをアイロンした。昨日借りたら一本だけ2泊3日…

110.『ユリイカ』9〈幼な子〉

「復讐欲の渦巻となるよりは、円柱苦行者となるほうがましだ(わたしを固くこの柱に縛りつけなさい!)」前回の『ツァラトゥストラ』のつづきである。前回書いた「有徳者たち」という節の終わりの方にこうある。「海」が出てくるのだ。「母が愛児のなかにあ…

109.『ユリイカ』8〈ツァラトゥストラ〉

「かれらが「わたしは正しい(ゲレヒト)」と言うと、それはいつも「わたしは復讐(ゲレヒト)した」としか聞こえない!」ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの『ツァラトゥストラはこう言った』上巻、「有徳者たち」という章。私はその昔、『小説、世界…

(108)『ユリイカ』7〈海〉

小学校三年生まで湘南の団地に住んでいた。住所も「辻堂西海岸」で、少し歩けばビーチだった。左に江ノ島があった。そこに今でも年一回、あるいはもう少し少ないペースで行っている。海の中には入らないが、江ノ島や辻堂の海岸に行きたい、とたまらなくなっ…

(107)『ユリイカ』6

沢井の向こうの波打際のコズエが突然、砂浜にバタンと倒れる。あの海はどこの海なのだろう。砂浜を歩いていると岩というより地層の断面みたいな、低い断崖があった。この映画は黄色味のあるモノクロ映像で撮られている。ウィキペディアでは「モノクロ・フィ…

(106)『ユリイカ』5

コズエは海辺に来たとき、一人でどんどん砂浜を歩いていき、追いかけながらも咳込んでくずおれてしまう沢井をおいていってしまう。立ち上がって追いかけてゆく沢井の向こうで波打ち際でコズエがなにか拾っている。貝がらか。このショットもザーザー雄々しく…

(105)『ユリイカ』4

「Eureka」が流れだしてから私は、10年前にこの映画をはじめて見ていた頃、22歳頃に、映画『ユリイカ』が先か『Eureka』が先かもうわからないが、ジム・オルーク『Eureka』をよく聴いていたことがブワッと思い出されてくる気がした。映画の冒頭は、コズエの…

(104)『ユリイカ』3

本当に見ていて胸に迫る、つらい別れの場面がある。国生さゆり演じる妻・弓子と沢井の別れだ。高層階の川とか海?港町?の望めるレストランで、国生さゆりがすごいいいのだが、バスジャック事件から沢井は一人放浪していて帰ってきたら弓子は家を出ていた。…

(103)『ユリイカ』2

はじめに書いたように、アキヒコはそのバスに乗って4人で旅に出ている。その時、助手席みたいな席で、運転手の沢井に話す。おれも殺されそうになったことがある、と。それは青山監督の長篇デビュー作とされる『ヘルプレス』の出来事だ。ヤクザに殺されるとこ…

102.『ユリイカ』1

青山監督がつくった映画『ユリイカ』の後半でアキヒコがバスから降ろされる。沢井真にブン殴られて「間違いだと思ったら戻ってこい、待っとってやっけぇ」と言われてバスのドアは閉まり、発進していってしまう。このアキヒコという人物は映画のなかで、見て…

101.『サッド ヴァケイション』

ことば、が、出来事である。言語の異なる人たちにも誰にも通じる言葉は、出来事=行動である。誰にも見えない、聴こえない、理解できない神の言葉を、受肉したイエスが生活化、出来事化したのが、御言葉、である。『記憶する体』には、盲目の女性がなんと絵…