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蓮沼執太フィルの『FULLPHONY』を聴いている。眠る時に。よく分からない音楽で、「フィル」ってそもそもなんなのか。

「オーケストラの名前によく付く」らしい。蓮沼執太オーケストラみたいなことか。たしかに演奏動画はそんな感じではある。みんな私服でラフな格好だから少し違う感じがするのか。

あとはドラムスとかエレキギターもあるから新鮮な感じがあるか。というか、歌がある。でも明らかに訓練された「上手い!」という歌でもないし、リラックスというかオーケストラのリーダーとしてピアノを演奏しながらだから歌にだけ集中されている硬さがなく歌っていて、全体で何を目指しているか分からない感じが自由な雰囲気でよい。

ジャケットが横尾忠則によるもの。環ROYがラップをやっている「Faces」という曲もある。木琴を忙しなく叩いているっていうイメージがこれらの音楽にある。

フィル、というのはフィルハーモニーの略らしい。フィルハーモニックは、和声を好む人、という意味らしい。何語だ?オーストリアとかか?いや、フィルはギリシャ語で、フィロソフィー(哲学)が「知を愛する」ってのと同じで、「愛する」「好む」ってことらしい。だから「和声を好む人」か。和声がよく分からないが、なんでこんなに分からないことばかりなんだろう。高さの違う複数の音が同時に響くこと、だ。いや、それは和音の説明らしい。

和声は、和音や声部の配置の概念、らしい。また、西洋音楽ではメロディ、リズムとともに音楽の三要素らしい。メロディやリズムでなく、和声を好む人、ってわけだ。

一日雨降りで、緊急事態宣言が出ていて東京の大きな商業施設は休業して、映画館もやってないし、『失われた時を求めて』を読んでいた。アルベルチーヌをめぐって、その突然の嫉妬から今後の人生はすべて苦痛になる、と感じて、婚約者と二度と会えなくなってしまった、などと即座にでっち上げを言ってアルベルチーヌをそばにいさせ、決して彼女を好きだ、と言わぬよう、彼女の気を引き続けるよう「私」が策を尽くしている。滞在していたホテルから夜の明け方いきなりパリに発つと言い出し、アルベルチーヌを無理に同行させるのだ。その時、昨年の夏も滞在し、また今年もおそらく数ヶ月、夏から秋にかけてを滞在したノルマンディー地方の、海辺の土地に立つグランドホテル、たくさんの思い出が詰まったその部屋が朝日のなかに、いつもと変わらぬ姿で浮かび上がる。

「天井のきわめて高いこの部屋は、私が最初の到着時にひどく辛い想いをした部屋であり、あれほど愛情をこめてステルマリア嬢のことを想いつめた部屋であり、アルベルチーヌとその友人の娘たちがやって来るのを浜辺に降りたつ渡り鳥の群れのように待ちかまえていた部屋であり、リフトに呼んでこさせたアルベルチーヌをなんの感動もなくわがものにした部屋であり、祖母のやさしさを知り、ついで祖母が死んだことを真に実感した部屋である」

ここで私は引越しした時、4年間過ごした吉祥寺のアパートの部屋がガランとなり、真昼の日光に満たされたそこを後にした時のことを思い出した。

これから風呂に入って、この大雨の降る音のなか暗闇で寝る、それが楽しみである。ゴー、という雨降りの街を包む音のなかで、『FULLPHONY』を聴きながら寝てもよい。