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(106)『ユリイカ』5

コズエは海辺に来たとき、一人でどんどん砂浜を歩いていき、追いかけながらも咳込んでくずおれてしまう沢井をおいていってしまう。立ち上がって追いかけてゆく沢井の向こうで波打ち際でコズエがなにか拾っている。貝がらか。このショットもザーザー雄々しく波の音が鳴り響き、「Eureka」が流れている。「Eureka」自体も趣きの異なる音がそれぞれに鳴っているみたいだ。
浜辺で沢井の向こうの越しの波打ち際にコズエがいる。その向こうは大きな海と空だ。沢井は映画の序盤から咳き込み始め、シゲオの所の会社の健康診断では再検診の通知がきているが「そのうちね」と沢井は言っていた。『サッドヴァケイション』は『ヘルプレス』『ユリイカ』から続く北九州三部作であるが、『ユリイカ』で小学生だったコズエ(宮崎あおい)が高校を卒業したばかりの設定だったはずだから、8年後とかの話だろうか。公開は『ユリイカ』2001年、『サッド』2007年だ。
『サッド』冒頭では、シゲオが会社の研修だかで東京に来ている。宴会の途中、酔ってはいるが『ユリイカ』の時のまんまの調子で電話をかけている。「オイ、東京!」とアキヒコのことをそう呼んでいたが(『ユリイカ』)、やはり電話の相手はアキヒコで、彼の一人暮らしの部屋に押しかける。その固定カメラひとつで映しだされるアキヒコの部屋、8年後のアキヒコの容姿、そして変わらないクセのある喋り、しばらく映される2人のやりとりがとてもいい。はじめに見たときは(私は三部作は『サッド』からだったのか?)何のことかわからない会話だったが、とにかく面白い。東京で過ごした、大学後のアキヒコの時間が、とても身に迫るように、彼の部屋やルックスから表れているようなのだ。アキヒコも三部作の時間を生きている。シゲオも『ユリイカ』からの時間があった。私は、映画では言及されないが、はじめに観ていた10年くらい前の当時、青山真治自身が小説化し、中原昌也とともに第14回の三島由紀夫賞を受賞した小説版『ユリイカ』にそのエピソードがあった、シゲオは沢井の中学の野球部の一年だか後輩で、ある接戦の試合の終盤で、一年生でライトの守備に着いたシゲオがタッチアップの走者をホームで刺した、その沢井のいる野球部や、なにより少年シゲオの存在が一条の光のように差してくるのを思い出すのだ。『ユリイカ』では沢井といることが憧れの先輩と一緒にいるようにいつもシゲオは誇らしげなのだった。
『サッド』の東京のアキヒコの部屋のシーンでナオキと「文通」してるというアキヒコに、「マコちゃんは3月に死んだんよ」と言っていた。コズエが高校を出てすぐに。コズエは卒業すると行方がわからなくなった。だからお前を「コズエちゃん捜索隊」に入れてやる、と。
「それって、明日から俺も九州行くの?えー、だって忙しいもん」
「忙しい?コズエが路頭に迷うとってもええんか?」
「だって、好きで出てったんでしょ」
8年前、アルバート・アイラーを聴いていただけある?部屋にエレキギターがスタンドに立てられて置いてある。ジム・オルーク「Eureka」はまだ発表どころか制作されてもいない時の設定のはずの『ユリイカ』のバスの中で流れる。あれもアキヒコの置いていったラジカセから流れた。それはまた映画のBGMとなり海辺のシーンの最中に流れている。

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