日々と文学

読書ブログ、映画ブログ

148 タリーズでアウグスティヌス


モツ鍋を食べさせてやると親父の招待があり、実家へ。その電車の中で、アウグスティヌス『告白』を。

「それゆえ、現在はただ過去に移りゆくことによってのみ時間であるなら、わたしたちはどうしてそれの存在する原因がそれの存在しないことにあるものを存在するということができるであろうか。すなわち時間はただそれが存在しなくなるというゆえにのみ存在するといって間違いないのではなかろうか」

久しぶりに『告白』。いつも飽きるが、やっぱり読みたくなる。やっぱりこれだ!と胸がアツくなる。さすがに上の箇所を読んだときは電車の中で笑った。こうしてひとつひとつ、人間が認知できないもの、へ近づいてゆく問いを発してゆく、それが思考を前へ進め、何かに近づいていくようなものものしさ、迫力、高揚が、この下巻の中盤まできて漂っている。

実家に行ったらまだ親が帰って来ていなかった。姉もいなくて、仕方なく駅へ引き返した。高校の前を通り、野球部を頑張っていたことを思い出す。あんまりいい思い出もなかったけど、体力は100倍あった、と思った。

駅前の気になっていた喫茶店は閉まっていて、歩いていてふと思い出した、高校三年で部活を引退してのち、美大に行きたい、と仕事帰りの親父と会って話した渋い喫茶店があったことを思い出した。今まで思い出したことのなかった記憶。そこも閉まっていて、駅反対側のタリーズへ。本日二度目の喫茶店で金かかるが、チャイミルクティーうまし。『告白』面白い。

というか、この後に続く時間についての考察がものすごく面白い、考えてゆくほど時間は捉えることができないことになる。で、そこでアウグスティヌスは「百年前を長い過去の時とよび」と語るのだが、アウグスティヌスは西暦354〜430年の人だ。その時の人にとっての百年がここでたとえとして出される。アウグスティヌスはその1600年後に、日本の青年がタリーズでこの本を読んでいるなんて、想像しようにもできないだろう。ティヌスなら、できそうな気がしてくるが…、そこにグッときた。

そろそろ時間だから、このリラックスできたティータイムは切り上げ店を出ましょう。アウグスティヌス、かっこいい。かっこわるいかも知れないが、信じるってことの凄さ、が私にもなんとなくそばに感じられる。


f:id:tabatatan:20211116111824j:plain


で、翌朝自宅に帰ったら、↑ビー・ガンのブルーレイBOXが届いていた。ヤッホー。