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(102)『ユリイカ』1

青山監督がつくった映画『ユリイカ』の後半でアキヒコがバスから降ろされる。沢井真にブン殴られて「間違いだと思ったら戻ってこい、待っとってやっけぇ」と言われてバスのドアは閉まり、発進していってしまう。

このアキヒコという人物は映画のなかで、見ている我々も共有しているそのシーンの流れと異質のことをいつも言う。映画はなぜこの人物をみとめたのか。でも誰もがきっとアキヒコを好き、あるいはいいヤツであると思っているだろう。私のこの「みんな…だろう」という思い込みが、『ユリイカ』のような本当らしいフィクション、リアルな物語をつくる資質のなさを表しているのか。

ユリイカ』ははじめに残忍なバスジャック無差別殺人事件が起こる。そのバスの運転手が沢井真(役所広司)で、3名を残して犯人を含め皆殺しにされた、その生き残りの1人が沢井であり、あとの2人が中学生のナオキと妹で小学生のコズエ、2人は宮崎将・あおいの実の兄妹が演じている。2人は負傷した犯人に拳銃を向けられ、あと引き金ひとつ引くところで犯人が背後から警官に射殺された。

アキヒコはその兄妹の従兄で、兄妹が2人きりで暮らす丘の上の家に、大学の休みを使ってやってくる。季節はカレンダーが10月となっていた。ラジオから「カズ、ラモスを中心としてカタールで…」サッカーワールドカップアジア最終予選が、と聴こえたので、1993年の10月らしい。ちなみにこの家に、居場所のなくなった沢井もやってくる。中学時代の後輩だったと思うが、建設業を営むシゲオのところで働きながら、兄妹と暮らす。

この4人で、沢井が中古で買ってきた古いバス(「別のバス」と言っていた)に乗って出かけてゆく。バスを沢井がいきなり買ってきたとき、アキヒコは部屋で自分で持ってきたラジカセでアルバート・アイラーを流していた。「違う場所にみなで行こう」と言って、シゲオとの会話のなかで言っていた「別のバス」を運転して丘の上の4人で暮らしている家にきた。コズエもナオキも出てきて、アキヒコも家の前に出て、「これで4人で旅行に行こうぜ」と沢井が言う。

「なにバカなこと言ってんの?この子たちがバスなんか乗りたいわけないじゃない。そういう押しつけやめようよ」

「俺たちは、ここを出ていかんばといけんと」

「どうして?」

「そうした方がよかと」

青山真治の映画では、よく言葉の無力さが表れる。この沢井もそうだし、ナオキとコズエは言葉を発しない。またナオキにバスの運転を沢井が教えるシーンも、ただただ無言で体で教える。『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』は言葉の力の失われた荒野から、音楽からこぼれ落ちるような雑音とかの音によって、もう一度立ち上がろう、世界を見てみようとする音楽映画、と言ってみる。

「それってアンタ一人の被害妄想で現実逃避なんじゃないの?この子たちはここで静かに暮らすのが一番なんだって、それをアンタの勝手な想像で妙な方向にもってくつもりかよ」

沢井はバスのドアを開けてみて、「今から中を住めるように改装するけん。ベッド入れて、机入れて、手伝うてくれんね?」

「ハッ、まいったね!アンタがそんな夢見がちのピーターパンだったなんて知らなかったよ。失望だねまったく。まるでどっかの変なオヤジみたいじゃん」

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