日々と文学

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(104)『ユリイカ』3

本当に見ていて胸に迫る、つらい別れの場面がある。国生さゆり演じる妻・弓子と沢井の別れだ。高層階の川とか海?港町?の望めるレストランで、国生さゆりがすごいいいのだが、バスジャック事件から沢井は一人放浪していて帰ってきたら弓子は家を出ていた。今は「男の人と暮らしとる」と言う。

「マコちゃん、私とやり直そうとは思わんかった?」と別れ際きく。

「やり直そうと思おて、帰ってきたばってん…」

「遅かったね」そう言う国生さゆり。何年かわからないけど一緒にすごした2人の時間はそうそう覆らず、おそらく誰より互いに深くつながっていたと言えるところはある、それがたとえば2人の始まりの時にそうであったように、終わりのここで、身体の芯まで大切な相手で満たされそれが途切れてしまうつらさ。沢井が唐突に言う。

「他人のためだけに生きるっちゅうことは、できるとやろか…」

こういうセリフを書かずにはいられなかった人。その人の状況というか、この問いを、これだけの大作をつくる年月の間維持しえること、そしてここに映画ができていることに強い関心がある。日常のなかで、日常を暮らし、私もこの映画やこの映画の登場人物たちみたく深くこの世界の何かとつながっていたい、と思っているのだ。

アキヒコがナオキのことを「一生刑務所か病院なんだろうか。かわいそうだけど、やっぱり一線を越えたヤツは隔離しないといけないんだろうなぁ。でもアイツもそれが幸せなのかも知れないよね?」と言ったら、沢井がバスを止め、アキヒコに「降りれ」とバスから降ろさせた。アキヒコの荷物を投げつけ、顔をブン殴り、「なんが幸せか!そげんもんが幸せでたまるか!ナオキがどこにおってもよかと。いつかナオキが帰ってきて、失くしたもんば取り戻すと!その時お前みたもんが、ナオキの邪魔をしやろ!まっぴらオレは死んでもナオキを、守ってみせけんなぁ!それを忘れんことしとけ!」と言って、「もし間違いだと思ったら戻ってこい!待っとってやっけぇ」とバスに乗って走っていってしまう。

そのアキヒコの座っていた助手席のダッシュボードにラジカセが残っていて、「悪いことしたなぁ」と言ってすでに走り出していたバスを運転していた沢井がそれを手にとり、再生ボタンを押した。カメラはダッシュボードの上のラジカセを捉え、ジム・オルークの「Eureka」が流れだす。アルバム『Eureka』が出たのが1999年だから、映画の中の1993年10月にはまだ作られてないが、ラジカセごしに海へ向かう道をゆくバスのフロントガラスからの眺めがその曲とともに映されている。

海へ向かう道の風景に、それまでの3時間の劇映画の流れからちょっと浮いたカンジで、「Eureka」が曲のはじまりから流れる。このまま映画はコズエと2人で海岸にきて、バスを降りて海辺に2人がやってくる。コズエは海の中に入ってきて、トリュフォー大人は判ってくれない』と同様に、海の中のコズエがカメラを見つめる。そのあいだも、ジム・オルークの「Eureka」がずっと流れている。

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