日々と文学

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失われた時を求めて』第9巻で、その日別れを告げようとしていた恋人アルベルチーヌに突如あるきっかけで「私」の病的な嫉妬が再燃する。リゾート地バルベックにて、ラ・ラスプリエールの景勝地に邸を構えるさる貴婦人の晩餐会の帰りの、鉄道の中だった。

そのきっかけとなる会話ののち、駅員が「パラヴィル!」と告げる。「私の向かいにいたアルベルチーヌは、目的の地へ到着したのを見ると、私たちのいた車両の奥から二、三歩あゆんでドアを開けた。」

「しかし降りようとしてアルベルチーヌがしたこの動作は、私の心を堪えがたいまでに引き裂いた。私の身体から二歩ほど離れたところにアルベルチーヌの身体が占めているように見える位置、それは私の身体とは独立した位置であり、その空間の隔たりは真実を描かんとするデッサン画家ならふたりのあいだに然るべく描かざるをえないはずのものであるが、にもかかわらずその空間の隔たりは単なる外見にすぎず、正真正銘の現実に即して事態を描き直そうとする人なら、いまやアルベルチーヌを私からすこし離れたところに配置するのではなく、私の心のなかに配置しなければならないと言いたくなる事態である。」

大切なもの、金や物質など分けたり分配したりできない本当にその人にとって大切なものを共有してる(と思っている)人、そうした深い繋がり合いがある(と思っている)人が失われる悲しみはだから、物質次元で言うと身体が「引き裂」かれる、そういう、その人にとっての世界の大きな欠損をきたす。人は一人では生きていない、腕が無くなるように、その人の世界を秩序立てていた気づかぬほど一体となっていた支えが奪われて、生活が立ちゆかなくなる。

第10巻から、小説は第5篇「囚われの女」に入ってゆく。まるで好きでなくなり、今日こそ別れを告げようとしたその時に、あるきっかけで嫉妬の炎がつき、パルヴィルで彼女を降ろさず、「私」の滞在しているバルベックのホテルまで同行させる。翌朝にはパリに発つ、と突然言い出し、アルベルチーヌが嫉妬の元となった旅行に行けないよう、一緒にパリの自宅へ来させ、同居させてしまう。ちなみにパリの自宅は両親と住んでいる、いわば実家だ。そこで彼女の友人の女性アンドレに常に彼女の同行を報告させ、すでにアルベルチーヌは好きでない「私」は本当はアンドレを恋人にしたかった、などと思い巡らし、一人「医者に安静にするように言われている」と嘘をついてベッドの上で過ごしている。これが「囚われの女」の導入だ。しかし大人に成長したアルベルチーヌは美しい。

「とはいえ、若い娘のにこやかなまなざしを凌駕するものとして、黒いスミレを束ねたような巻き毛の冠よりも美しいものがほかにあるだろうか? 微笑みは、より多くの友情を提示してくれるが、花と咲く髪のつややかな小さい縮れ毛の束は、はるかに肉体とつながりが深く、肉体を漣(さざなみ)に移し替えたように思われて、いっそう欲望をそそるのである。」

好きな子や、初恋の人など浮かべて読んでみてほしい。それよりも、こんな箇所こそ愛嬌が伝わるだろう。

「アルベルチーヌは、ドアを開けっ放しにしても平気の平左だし、それどころかドアが開いていると、犬や猫と同じように遠慮なく闖入してくる。本人のいささか厄介な魅力は、そんなふうに家のなかで若い娘としてではなく、むしろ飼い馴らされたペットのごとく振る舞い、部屋に入ってきたかと思うと出てゆき、どこへとなりと想いがけぬところへ出没することで、ベッドの私のそばに跳び乗ってきて——それは私にとって深い安らぎだった——、そこに居場所をつくると、もうそこから動かず、それでいて人間のように邪魔になることはないのだ。」

「囚われの女」は、かなり好きかも知れない。まだはじめの数十ページを読んだだけだが、囚われの女はつまりアルベルチーヌのはずが、療養といって自宅の自室のベッドに「私」はずっと一人いる。窓から見える天気から、物音から、屋外へと想像がずっと広がり、その「私という中心のまわりに不確かな漠然とした流動的地帯」を膨らませ、毎日アンドレと遊びに出かけてゆくアルベルチーヌを想ったりすることで、それが部屋のなかの「私」と同期しているようだ。はじめに引用した、空間的に隔たっている場所と場所が、一つに重なることがある、物理学では説明できないが芸術がいつもリアリティを持って再現してきたそれが、「私」を中心にすべて可能態として際限なくある

構造として線的でしかない文章が、『失われた時を求めて』では雲のように全方位へ広がるように書かれてゆくが、それがことさら自在にマーブル状になって「囚われの女」導入部にはある。たぶんエンタメ小説しか読まない人は、我慢ならないだろうが。

「私」は毎朝、アルベルチーヌが出かけてしまうと、「始まろうとする一日が与えてくれる歓びの分け前を味わおうとした」。

「その歓びを手に入れるには、その日の特殊な天気が、その天気の過去のイメージを私に想起させてくれるだけではなく、その天気が現に実在していること、偶然の事情、それゆえ無視できる事情でやむなく家に閉じこもるのではないかぎりただちに万人の手に届くものとして実在していることを示してくれる必要があった。」

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