日々と文学

読書ブログ、映画ブログ

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仕事の休憩に書店に入り、『オーバーヒート』を購入。今、芥川賞の候補になってる千葉雅也の小説で、明日が発売日だった。ついさっき、保坂和志ツイッターを見てたら、現代文学は読む必要ない、と言っていて、こんな乱暴な言い方はしない人だと思った。

千葉雅也は、『デッドライン』『勉強の哲学』を読み、『ツイッター哲学』を買ってきた。また、友人のカフェに僕のチョイスの本が並んでいるが、そのなかにブックオフでチョイスした『アメリカ紀行』があって、これを読みたくて店に行ったとき、もらってきた。用賀のヨスカという店、玄米カレーと酒やコーヒー、本の読めるお店だ。先月オープンしたばかり!

いいところを人に見せないようにやる。この店の店主とか、気の合う友人たちがこのところカッコいい!と思っている。ここの店主や、福岡と東京を行き来して暮らしている友人、京都の若い画家。自身の関心を毎日掘り下げていけるような、考え続けていられるような生活を素直にしてみたい。それは、現実を否定することではない。だから、少しずつ自分を変えていくしかない。会社ではなかなか芸術や、世界の不思議について語る機会をもたない。大事な考えを秘めている人たちと話す、いや、誰しも大事なものはあるはずだ。きっと私が会話が上手くないことが大きい。誰かと深く通じ合っていたい、と思う。大事なことを話す。自分の言葉で。いや、自分の言葉、なんて言い方は本当はおかしい。でもやっぱりその人の言葉、というのは出てくる。すごい、面白い、と言わせたいためでない、むしろ本当のことすぎて口にしたくないがしぶしぶ言う、という言い方で、そうした声と一体化した言葉が出てくる。他人を縛り付けたくない。多種の声が響け。できればそれは響き合え、私の言葉と。


エスター・バリントが『デッド・ドント・ダイ』(2019年)に出ていた。これは映画館で見たとき、まさか、と気づいた自分が誇らしかった。1984年、ジャームッシュ映画の中でも他と比べることができない作品『ストレンジャー・ザン・パラダイス』にエヴァ役として出演していた女性だ。その白黒のぼやけたフィルム作品のみで知られる彼女が、35年後の『デッド』でダイナーの店主として、美しい姿を見せた。品があるが、あの礼儀知らずのラフな仕草、とてもクールな立ち姿が、見られた。

『佐々木、イン、マイマイン』のラストの、主人公が舞台に向かう時、あの状態、それについて知りたい。間の15年間を挟んで、より成熟した青春が全身にたぎり歓びに震えているような、ハードな状態。面影を感じさせ、僕にエヴァを思い出させた、35年後のエスター・バリントイチローが引退セレモニーで球場で英語でしたスピーチでチームの選手たちに向けて言っていた「毎日同じ情熱をもって野球に向かう」こと。

長くやればやるほど、ともに関係すればするほど、それにうんざりしたり相手が嫌いになったりすることは違う気がする。はじめの出会いの歓び、それはウソだったの?「所詮〇〇だよ」というわかったような言い方こそが、下らない考えに汚染されていることに気が付かないと。はじめの「なんだこれは…!」を加速させること、それをどうしたらできるか考えつづけること。

 

で出勤前の三茶サンマルク阿部和重『ブラック・チェンバー』読了。涙が両目に溢れてきて焦った。ちなみに本書の主人公の自宅が三茶で、渋谷や神田など、田園都市線半蔵門線がよくでてくる。阿部和重、ついて行きますアニキ!て感じ。カッコいいです。

千葉雅也『ツイッター哲学』に過去のこんなツイートが。

「アイドルは恋人情報が漏れると叩かれるっていうアホらしいことを廃絶できないのだろうか。パートナーがいることが分かったくらいで妄想が阻害されるようなファンは気合いが足りん」

これは、何かがうまくできないこと、うまくいかないこと、という普通のことをしっかり見つめてる人の発言だと思う。あと、思い込みとか、まあ妄想という言葉で書かれているが、これはいいことだろうか。自分の経験上、粉々になる、ハートが。でもその思い込みが打ち砕かれる、それでも気合いで思い込み続けるのか。芸術と現実のあやうい均衡のところを突いている。とにかくこれはメモ。

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