日々と文学

読書ブログ、映画ブログ

124

千葉雅也『勉強の哲学』を読んだ。著者の風貌になにか感じて、『動きすぎてはいけない』が書店に並んでいた頃から、今まで覚えていた。8年前らしい。しかも私は『はたらきすぎてはいけない』とタイトルを誤読してて、何だそれ?と思って嫌っていた。

著作も今回はじてめ読んだのに、ずっと覚えていたというのはどういことか? 昨年だったか、いや、一昨年だ、『デッドライン』という小説が刊行されて、野間文芸新人賞を獲った。保坂和志さんと対談などしていて、ツイッターなどでも保坂さんは『デッドライン』を挙げていたと思う。「ことばと」という、佐々木敦が編集長をして昨年創刊された文芸誌の第一号を買ってもっているが、そこに千葉雅也の「マジックミラー」という小説が載っていて、まだ読んでなかった。今年、それがあの川端康成賞を受賞した。

で、「マジックミラー」を読みはじめた。ゲイがハッテン場とかいうそういう店で入れ替わりに客たちが小部屋でヤる。また新宿二丁目のゲイバー街の店に通う、などの日々が回想を主として語られるようだ(まだ冒頭数ページ)。ギャル男ファッションや日サロなどがさりげなく書かれ、いかにもモチーフとして調べて詳しく書いた、のと違う自然さとさりげなさが、またいわゆる文学的な表現は使わず、けっこうラフな喋りをもとにしたような、それでいて「若い男に特有の、パンをちぎったときの匂いみたいな穏やかな体臭が混じった」など比喩がうまい文章で、小説の多くと毛色が違うというか、出どころが違うような、どこか特異さが漂っている。先日、濱口竜介について役者や映画関係者たちが語る、という動画をYouTubeで見ていたが、千葉雅也も出てきた。この千葉雅也が、今の私には六、七人出てきた人のなかでもっとも親しみ、というか親愛みたいなものが湧いた。全然著作も読んでないのに。でも8年間覚えていた人だからか? なぜか引っかかる人っている。

みな濱口竜介を神さんみたいに言っているが、千葉雅也は友達みたいに話していて、「ダルいところがある」とか言いつつ、その語りは温かい。そして最後の方は泣けてくる。

ものすごい強そうな風貌だが、東大での講演では自分は大学に入った頃は恋愛経験もなくオタクだったと言って、その自然な語り口に、偉大さよりも友情に近い気持ちになった。


新宿シネマカリテで、ロベール・ブレッソンの『田舎司祭の日記』が公開されている。制作70年経ってはじめて日本で公開だ、昼の会に行くために午前中に新宿に向かったのに、満席。仕方ないから、夕方の回を取って出直そうと思ったら、さっきまでネットでは空席があったのに完売していた。平日の昼間から満席って、そんなにみんなブレッソン見るのか、と意外。家に帰った。「ことばと」収録の「マジックミラー」を読了。やっぱり多くの小説家と別の観点が制作においてあって、それがハッキリはわからないがいい、と感じる。

「ことばと」の表紙に、伊藤亜紗、と名前があって、この人は『記憶する体』の著者で吃音とか障害?のある人と体について可能性を研究してる人で、『記憶する体』はブログで取り上げたし、磯崎憲一郎と複数の学者たちで共同研究をしていてこの間『利他とは何か』という新書をその人たちの共著で出していた。

「本がなければ生きていけない」という企画の執筆を伊藤亜紗が「ことばと」でしている。ここにとてもいいことが書いてあって、アウトライナーアプリにメモった。アウトライナーは、千葉雅也がオススメしていた。エン転職のweb履歴書を入力していたら、あまりに苦痛で、パソコンを持って喫茶店に行って、続きをやった。メールが来て、「企業から〇〇さん(私)にオファーがきました」というので見たら、ファミリーマートの販売スタッフだった。

ニクソンのずっと止まっていた腕時計を電池交換に出し、また使えるようになった。明日からしよう。そこそこ色々やったような休日にこう書くと見えるが、なにもまとまったことはしていない。家にいれば外に出たくなる。いつもと同じカレー作って二回食べた休日。いいかげんうんざり。


写真は今一緒に暮らしてる、トゲのある花。

f:id:tabatatan:20210616212302j:plain