日々と文学

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144 【配信版】小説的思考塾vol.5

野間文芸新人賞になった井戸川射子『ここはとても速い川』を読んでいる。以前は巣鴨だったかの会場でやっていて私も行ったことのある、保坂和志さんの「小説的思考塾」というトークイベントの配信版をこの度久方ぶりに視聴した。ライヴで、休日だった土曜の17時から自宅のMacBookで。そこでこの『ここはとても速い川』が触れられた。保坂さんが選考委員をしている野間文芸新人賞で、選考会でこの本のいいところを語っていたら泣いてしまったという。この本は、小学生が児童養護施設にいて、そこでみんなで暮らしている。そこから学校に通っている。親はみんないなくて、先生たちがいて、夜もみんな共同生活だ。私は両親がいてその家で家族で暮らしてきた。友達の家に泊まったりはしていたけど、そこで暮らしてはいない。男女がいて、リビングに大きなテレビがあるという。そこでユーチューブをみんなで見る。「ユーチューブは危険やから、先生が付いてる時しか見られへん」耳かきの音のやつをみんなで見て笑っている。「それはみんなで笑ってもうた。女子たちはメモ帳交換しながら見とった」ここを読んでいて、なぜかぐっと胸に迫った。小学生の頃、たしかに女子は交換ノートとか手紙のやりとりしてた。男子は騒いだりしてた。そうか、子供の頃こそ男女はビビットに違う存在だった、と。私はそこで少し寂しくなった。特に男子らしくなく、かと言ってなにか変わった個性的なことをしていたということもない。保坂さんはめちゃめちゃ人気者でお調子者で面白い人だったから子供時代のこんな小説は楽しいだろう。私も楽しいが、寂しいなぁ。ちっぽけさを改めて念押される。

銭湯行きたいが、土曜は休みだ。薬局でお気に入りのシャンプー買ってきたぞ。暖かい晩秋だ。上野公園は秋日和だったぞ。ずっと恋する人を考えて一人で歩いていた。どうしてこんなにもこんなにも想ってしまうのか。もっとサッパリした性格になりたい。重たくて、辛気臭くて、友達も少ない。一目置かれたりすることはさらにないなぁ。でも無力であることは、小さくあることは、力が弱いことは、感受性になる。

どんなささやかなものでもささやかであるほどそこに真実はあらわれる、真実は五感を経ないのだから五感をともなわなれば働かない人の思考はまず、ささやかさに注目し、ささやかさに傾聴しなければならない、ささやかであることは五感が無力であることのサインなのだ

これは本日の思考塾の資料とされていた文章で、保坂さん短編「夜明けまでの夜」からの引用だ。この引用を意識してたわけじゃないのにいい繋がり方をした笑。そもそもなんでこんなに保坂さんが好きなんだろう。おれと全然まるきり違うのに。明日も早いので、プリン買ってきて、風呂入って寝よう。リモートだしそんなに集中して視聴してたわけじゃないのだが、保坂さんの喋り=思考を聞いているとたしかにこっちにも開いてくる部分があって、この感じで明日からやっていきたい、なんて思うのだ。

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