日々と文学

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たぶん次は「抵抗」、このことについて考えてゆくだろう。新聞を読んでいるとアジアや中東、アフリカや南米の不安定な国政や過激なデモの記事につい目がいく。『バンコクナイツ』を制作した空族がこのタイでの映画制作を通して、抵抗について言っていた。タイ、イサーン(東北地方)の楽園と言われる恵まれた自然のなかでの生活。守るべき楽園があるから、抵抗するんだと。メッセージがあるから。ラッパーだ。空族がバンコク→イサーン→ラオスでの暮らしと冒険から『バンコクナイツ』を制作し次に注目した楽園であり抵抗の地は、南米コロンビアだった。コロンビアでは、タイの映画監督アピチャッポン・ウィーラセタクンが映画をつくり、先月カンヌで発表したばかりだ。

「世界を変えるために神が選んだ人々は、自分が生きる社会とその仕組みの中で大過なくすごせているわたしたちのような者ではなく、抑圧され、貧しく小さくされている人たちであるということです」

「ちなみに聖書で語られる「悪」とは、ほとんどいつも、「だれかがだれかを抑圧する行為」を指すものであり、「善」とは、「その人/物の性質のすばらしさを引き出す行為」のことです」

キリストの言う神の国っていうのは、「正義と平和と喜び」の国である、ただここで書いておかなければならないのは、キリストのいう平和と世間のいう平和はまったく違うものである。上の引用とともに、本田哲郎『釜ヶ崎と福音』による。

「世間が望む平和は、真理をあいまいにするバランスの平和、社会的弱者に忍従をしいる和解の平和、対立と緊張を覆いかくした平穏無事の平和です」

それに対してキリストは「立場を鮮明にする」ことを言う。マタイ福音書でキリストはこう言っている。「平和を投げ与えるためでなく、包丁を入れるために来たのだ」この「包丁」という比喩がいい。こうした態度を通したキリストは、権力者やそちら側につく人たちから危険視され、恐れられ、ついには処刑されることになる。何度も書いたが、キリストは「神の御ことば」である、ダバールというヘブライ語で「ことば」を表す語は「出来事」という意味で、誰にも理解できる言葉は、出来事、行動なんだと。キリストはその身をもって神のメッセージであったと。

「そのもの自体はおそらくもはや現存しないであろうが、わたしはそれを熱望しながら想起する。それゆえ悲しみながら、以前の喜びを想起するのである(第10巻 第21章)」

「かれらはなし得ないものをもなし得るようになるほど、それを熱心に求めないのであるか(10-23)」

これは聖アウグスティヌスの『告白』から。これは神に接近するために、ひとつひとつ、本当にじわりじわりとアウグスティヌスが綿密な思考を練り上げてゆく。その道筋、小さいながらたしかに一歩一歩を重ね、なにかに(神に)近づくような思考は、その根拠を神以外にもたないかのように、証明の対象とするはずのものを唯一の根拠とする。この思考。社会的な通念、科学的な論理というものに拠るのでなく。またその練り上げる思考は、理屈より、本当さ、世界の感触をたよりにするから、それは上記のような、AとBは違う…という線的なのでない、BでありながらAであることはCである、といったような…。芸術は矛盾を実現する試みである。アウグスティヌスの没年は430年、たしか保坂和志が世界最初の小説は『告白』だ、とその文体の特異さから言っていたと思う。

エスいわく、信仰とは「不可能なことを、信頼してやってみる、神が力をかしてくださると信頼して、自分のできることからまずやってみる」だそうだ。一人の力ではできないのだ。でもその力をかしてくれるもの(神)っていうのはなんだ。

 

『告白』が非常に面白いが、飽きるというか、本を開くのが重い。数年前に読んでいて、上巻は読み終えた。下巻に入ってすぐのところに栞が挟んであった。集中力の低下、とも向き合っていかないと、すぐに食べ物のこととか買い物のこととかが頭に過ぎるのだ。

東京都現代美術館と、ワタリウム美術館に立てつづいて行ってきた。ほどんどこの頃、美術館も展覧会を延期したり、国外から作品を集めてくることをしなくなっているようで、行っていなかった。夏は美術館、というのが私のなかで少しある。

清澄白河の現代美術館でかなり大規模な横尾忠則展、見るのに長時間かかって、すごく疲労した。腹ペコになり、デニーズでスパゲッティをいただいた。

表参道から青山通りを歩いて、ワタリウム美術館アピチャッポン・ウィーラセタクンの2017年の映像作品があった。音楽は坂本龍一。というか、二人で暗闇の部屋で映像を流すという作品を手がけた、という感じか。

ポストカードをだいたいいつも2枚くらい買うことにしているが、ワタリウム美術館(ごく小さい)の一階のショップに雑貨やポストカードがたくさんあって、特にポストカードはレコード屋みたいに写真家や写っている俳優などなどで名前ごとに仕分けされ、パタパタと掘れる。その店の店主?の若い女性があまりに魅力的で、つい買った。ウォーホルと、南方熊楠のスケッチ、あとは何かよくわからないがインパクト大の半魚人。帰り道もその店主のことを考えて歩き、表参道駅のところの山陽堂書店という店に入ったりした。

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